障がいを持つ方、支援者のためのお役立ちコラム  発達支援研究所

足場づくり(支援のポイント)

写真:説明するスタッフ


 2021.10.06

一般財団法人 発達支援研究所所長 

山本登志哉(教育学博士)


先日、発達支援研究所の公開講座「当事者の就労経験に学ぶ」の動画撮影で、みんなの大学校の学長をされている引地達也さんと対談をしたのですが、そこであらためてしみじみと話し合ったことがあります。それは「支援って足場づくりの作業が一番基本だよね」ということでした。

これは別に障がい者だから大事だということではなくて、もともとすべての人にとって大事なことです。何かをやろうとしたとき、「足場」がしっかりしていなければ自分の足で立つこともできず(もちろん足というのは比喩です)、歩き出すことも、駆け出すこともできません。

障がい者と健常(定型発達)者の違いは、この「足場」づくりの困難さのレベルにある、と言えます。世の中は基本的に健常(定型発達)者に合わせて作られているので、それになじむ人は「足場」が作りやすい環境になり、そうでないと作りにくくなる。

私は心理学が専門なので、「心理的な足場」についてよく考えるんですが、「理解」の面でも「感情」の面でも、自分の中で足元が揺らいでいるときはなかなか前には進めないですよね。「○○をしたい」と思っても、どうやったらそれが実現できるかについての知識がなければ動きようがなく、知識があっても自信がなければ一歩を踏み出せず、それどころか「どうせ自分なんて……」と思えば一歩を踏み出す気持ちも生まれません。

もっと言えば、落ち込みがひどくなっていけばそもそも「○○をしたい」という目標の「○○」さえ頭に浮かばなくなってきます。ただ息をしているだけでも精いっぱいという状態になることもあります。

全国の障がい児・者支援の施設で事例検討をしていてしみじみ感じるのは、「足場」ができていないことで、気持ちが不安定になったり、自分や他人に厳しく当たったり、引きこもってしまったりする例が本当に多いということです。

じゃあどうして足場ができにくいのでしょうか。

これ、実はとてもシンプルなことなんだと思います。それは「自分を認めてくれる」「自分を理解してくれる」「自分を肯定してくれる」人や場があるかどうか。あればそこが足場になり、なければ足場が作れない。



冒頭にご紹介した引地さんはもともと通信社の記者として世界中を飛び回っていた方ですが、その後、故郷であった東北大震災に直面し、ボランティアを続けられます。地震というのは文字通り地面という足場が激しく揺れ動き、家という生活の足場が崩壊し、家族という心の足場が奪われてしまう体験になります。

もちろん生活を支えるための支援物資も必要です。けがをした人には医療も大事。でも引地さんがもっと大事にされたことがあります。それはそうやってたくさんの足場を失って茫然とした人たちの話を、ひたすら聞き続けることだったそうです。

それまでの自分を支えていたさまざまな足場が失われ、呆然とする被災者の方の話をひたすら聞く。励ますわけでも後ろから後押しをするわけでもなく、ただ話を聞くだけなのに、そのことで被災者の方が支えられ、前を向けるようになってくることを引地さんは実感されました。ただ傾聴することが被災者の方にとって足場になったのでしょう。


そうやってボランティアを1年以上も続けられた後、引地さんは障がい者の就労支援の活動に取り組み始められます。公開講座「当事者の就労経験に学ぶ」でインタビューに応じてくださった谷口さんや、前回の講座でご自身の体験や思いを語ってくださった水越さん、中嶋さんはみんなそんな引地さんと出会い、じっくりとお互いのつながりを作り上げてこられた方たちです。

みなさん、それまでとても厳しい環境の中で長い長い引きこもりなど経て、今回そうやってインタビューでご自分の思いを公開されるまでの前向きな気持ちにまでなられたのは、やはり引地さんとの出会いが決定的だったのだと私には感じられました。

震災の時と同じで、そこでも引地さんがされたことは、なにか特別のテクニックを使った「支援」ではありません。ただただその方たちの思いをしっかりと聞いて、決してその思いを否定することなく、その人の持つ力を一緒に見つめていった、ということだったと思えます。







こんなエピソードを引地さんは語られます。引きこもって寝床から起き上がることもできない状態の方の部屋を訪ね、同じように寝転がって、天井を見る。天井にシミがあって、引地さんは「ああ、彼もこのシミを見ているんだなあ」と思う。

語り合って前向きになるどころか、語り合うことすらできなくなった彼に対する、それが引地さんの大切な「支援」となっていきます。

どうしてそれで「支援」と言えるのか、と思われるでしょうか。やはり天井を一緒に見つめる「支援」を受けた谷口さんは、インタビューの中でこんなことを言われています。

「引地学長は自分のいいところを伸ばそうとしてくれる。自分の突拍子のないところも否定せずに一回受け止めてくれ、そのうえでそれをどう思うかを丁寧な言葉で返してくれる。他では否定されることも失敗にカウントされず、それは何かに使えるね、としてくれる。そのおかげで今の企画でもインスピレーションにつながっていて、無駄になるものはないのではないかと思う。」

今まで誰も受け止めてくれなかった自分の思いを、隣で、また向かい合って静かに受け止めてくれる。そこでは自分が肯定される。そういう繋がりが「足場」を作ったということになります。


支援にとって大事なことは、その人の思いを受け止め、そのことで肯定的な自己に気づいてその自分が足場になり、元気が出て前に向かって自分で歩き始められるようになるプロセスを、横に並んで一緒に探していくことなのだと、引地さんの支援の実践を拝見していてしみじみと思うことでした。


障がい者がつらい思いをするのは、障がいそれ自体のことであるより、むしろそういう障がいという特性を持つ自分のことを周囲の人が理解してくれないこと、否定の目で見られることでしょう。困難はそういう「他者の目」によって生み出されていきます。そしてやがて孤立し、人とのつながりを失ってひとり苦しむ状態にもなっていきます。

ということは、支援者にとって大事なことはそういう思いとまずはつながり、最初は細く薄いそのつながりを少しずつ育て、やがてはこれからのことを一緒に考えていくことでしょう。それは簡単なことではないかもしれませんが、支援を必要とする障がい者の多くはその「簡単ではないこと」にそれまでたったひとりずっと悩み続けてきた方たちです。その思いを共有しようとするだけで、きっとちいさな足場がそこから作られていくのだと思います。



発達支援を知り、お互いに自分らしく生きる道をさぐる

写真:説明するスタッフ

 「ズレてるからお互いに生きづらい」ということ 第一回   2021.08.14

一般財団法人 発達支援研究所所長 山本登志哉(教育学博士)

私の専門はメインが発達心理学で、社会の中で育っていく子どもの姿や、異なる文化を持った人同士の相互理解の方法や理論などについての研究を主にやってきました。

また発達心理学をしている関係で、長い間発達障がい児の療育現場とのかかわりもあり、障がい児の証言能力に関する分析評価を頼まれたことから、供述分析(大きく言うと法心理学)の領域にも足を突っ込んでいます。

私の一番の関心は、「お互いに理解しあえない人同士が、それでもどうやってお互いを否定せずに一緒に生きていけるのか」という問題です。

たとえば大人と子ども。私たちはみんな子ども時代を通っているから、子どものことなんてわかるはず、と思いきや、実はほんとは大人になったらすっかり子どもの心を失ってしまって、わかんなくなっているんですね。皆さんの中にも子育てで苦労された方もいらっしゃるでしょうし、逆に親に気持ちが伝わらなくて苦しんだ方もいらっしゃるでしょう。

異文化との接触もそうです。私自身文科省(当時は文部省)の派遣の若手在外研究員として、10か月間、中国で研究活動を行ったことがあり、大都市の北京から近郊の農村、少数民族の人たちが暮らす地域など、それまで日本では全く経験しなかった世界に入り込んで、そこで理解困難な文化にたくさん出会って身も心も爆発しそうでした(笑)。異文化間の理解はほんとうにむつかしいのです。 



「ズレてるからお互いに生きづらい」ということ 第二回   2021.08.25

一般財団法人 発達支援研究所所長 山本登志哉(教育学博士)

発達障がいの、特に独特の視点や感性、理解の仕方を強く持たれている自閉系の方たちとの相互理解の実践研究も積み重ねてきていますが、まあお互いに常識がすれ違ってしまって、「なんでそうかんがえるの?」ということがわかんなくて、頭が爆発しそうになることばかりです()

供述分析をしていると、同じ供述を見ていても、裁判官と私たち心理学者で全く理解が対立することがよくあります。私たちから見て「こんなの嘘ついてるにきまってるじゃない」とか「無理やり言わされてるよね」と思える供述に、それと全く逆の評価をされたりして、びっくりします。これもまた「供述」を評価する基本的な視点に大きなずれがあって、お互いに理解しにくいんですね。

こんな風に、お互いの考えていることが理解できない、想像もできない、といったことは私たちの生活の中に普通にどこにでも転がっています。その中のひとつに「障がい者」と「健常者」の関係もあります。

自分の思いがどうしても相手に伝わらず、相手の言うことも意味が分からない。理解できないからうまく付き合えず、いろんな摩擦が起こり、関係が悪くなり、その内一方が排除されたり差別されたりということも起こります。そして「障がい者」はそういう弱い立場に陥りがちです。

こんな状態では当然「共生社会」なんて実現するはずもありません。  



「ズレてるからお互いに生きづらい」ということ 第三回   2021.09.13

一般財団法人 発達支援研究所所長 山本登志哉(教育学博士)

支援というのは「力のある人がない人を援助してこの世の中に適応できるようにしてあげること」とイメージされることが多いと思います。でもここでは「おたがいさま」という少し違う視点から共生を考えようと思います。

つまり問題はお互いの特性、得意なことと苦手なこと、考え方や人間観・人生観にずれがあって、お互いにそこに折り合いが付きにくい状態があるからなんだと考えてみるわけです。「ズレてるからお互いに生きづらい」

ということで大事なのは、よくわからない同士、どうやったら少しでもお互いに理解し合えるようになるのか。理解しあえなくてもどうやったらお互いに相手を否定しないで折り合いをつけて生きていけるのか。その道を探ることでしょう。

それを私たちは「ディスコミュニケーション分析」という概念を使いながら考えてきました。

就労支援というのは、お互いに理解しあえないで困難を生んでいる障がい者と健常者の間を調整し、二つの世界に橋渡しをしてお

互いが生きやすく、お互いを活かしあえる道を探るお手伝いをしていくことの一つなのだろうと思います。

そんな視点から、「これからの就労支援」について、これまではつけんラボのブログで書いてきたことなども使いながら、個人的

な経験もいろいろ交え、あまり型にはまらずに自由にいろいろ考えていけたらと思います。